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鎌倉幕府の鬼門(2) 鬼門

 鬼門には表鬼門(北東)と裏鬼門(南西)があります。鬼門は「災いが訪れる方角」として、昔から家を建てる際に「水回りをつくるな、玄関をつくるな」と言われ続けてきた方角です。でも、なぜ北東なのでしょう? 

 

  

 古代中国の書物『山海経』(せんがいきょう 中国の戦国時代から秦・漢期にかけて執筆されて成立した中国最古の地理書)にある物語が元となっており、北西(乾 いぬい)を「天門」、南西(坤 ひつじさる)を「人門」、南東(巽 たつみ)を「風門」、北東(艮 うしとら)を「鬼門」としたことによる説があります(注)。日本に『山海経』が伝わったのは宇多天皇の時代とされています。

 『山海経』には、

東海中有度朔山、上有大桃樹、蟠屈三千里、其卑枝門日東北鬼門、萬鬼出入也。上有二神人一日神茶、一 日鬱壘、主閲領衆鬼之悪、害人者執以葦索、而用食虎。於是黄帝法而象之。因立桃梗於門戸上、書鬱 壘持葦索以御凶鬼、書虎於門、當食鬼也。

「東海の中に度朔(どさく)山がある。頂に大きな桃の木があって、三千里にも渡って蟠屈しており(渦を巻くように曲がりくねっており)、その枝の間の東北を鬼門といい、多くの鬼が出入り口となっている。頂には二人の神が居て、ひとりを神茶(しんと)、ひとりを鬱壘(うつりつ)といい、悪鬼を調べ取り締まる役目を負っている。害をもたらす鬼を葦の縄で捕らえて虎に食わせる。このことをもとにして黄帝は礼の決まりを作り時々これを払い、桃の木でつくった大きな人形を門戸に立て、門に神茶(しんと)と鬱壘(うつりつ)そして虎を描いて葦の縄をかけ、凶悪な物の精鬼を防いだ」と書かれています。

この話が日本に伝わり、家相でいう「鬼門」方位 となったという説です。

 

 中国の明の時代に成立した古典「封神演義(ほうしんえんぎ)」には、『昔、度朔(どさく)山に鬼どもの出入り口があった。そこには”神荼(しんと)”と”欝塁(うつりつ)”という二人の門番がいて、鬼門を出入りする鬼を見張っていた。そして、出入りする鬼の中から、悪い鬼を見つけだしては捕まえて、飼っている虎に喰わせた。そのため、国内に悪鬼がはびこることはなかった』ということです。

 鬼門を東北方位とするのは、鬼門の場所が、度朔山にある桃の木の、大きく張り出した枝の東北隅にあることからきているようです。ここでいう”鬼”とは幽霊、霊魂のことなので、悪い鬼とは怨霊、悪霊の類を指します。現在でも中国ではこの神荼(しんと)と欝塁(うつりつ)を門神として、悪いものが家に侵入してこないように、虎の絵とともに家々の玄関に貼ります。

 

 紀元前二世紀頃に中国で書かれた『神異経』(しんいきょう)に、「東北に鬼星の石室が三百 戸あったが、門は共有して一つだった。これを鬼門という。」このため、北東を鬼門と呼ぶようになったという説があります。

 

 陰陽道では、鬼が出入りする方角であるとして、万事に忌むべき方角とし、他の方位神とは異り、鬼門は常に艮の方角にあるとしています。また鬼門とは反対の、南西(坤 ひつじさる)の方角を裏鬼門と言い、この方角も忌み嫌われています。陰陽道においては、北と西は陰、東と南は陽とされ、北東と南西は陰陽の境になるので、不安定になると説明されています。

 

 逆に、鬼門は忌み嫌われるという云れの他に、神々が通り抜ける方角、あるいは太陽が生まれる方位(生門)であるために清浄の気を保たねばならぬという説もあります。

 

 

 「鬼門とは」このように諸説色々ありますが、現実的には、紀元前5世紀頃に中国からみて北東の方位の騎馬民族が、豊かな中国の土地を求めて幾度も侵攻をし、苦しめられた為、この北東の民族を鬼と呼び恐れられたことから鬼門と呼ばれるようになったと伝えられています。この北東の騎馬民族の進入を防ぐ為、明(1368-1644)の時代には「万里の長城」が建設されたと云われています。また、中国では、北東の方向から季節風が吹くため、家の中心から見てこの方角に水回りのものを置くと、家の中が不衛生になるので置かないようにしたというのが、鬼門の由来であるというような説もあります。

 

 日本では、日本列島の地形が北東から南西に長く伸びているためと云われます。日本においても、表鬼門の方位からは、外敵や疫病などの様々な災いがやって来ると考えられ、玄関や出入り口などの開口部や不浄の場を設置することなかれと云われ恐れられきたのです。そして、裏鬼門は台風などによる風水害の自然災害が襲って来る方位として、また南西の暑い西日が様々なものを腐らす方位としても忌み嫌われてきたのです。

 

 

 話は違いますが、鬼の姿は、鬼の角(つの)「丑(うし)」を現し、トラ柄のパンツ は、「寅」を現します。東北すなわち「うしとら」の方位が鬼門とされたいわれからです。

 

 

 (注) 乾(けん)は方角としては北西の方角になり、戌(いぬ)と亥(い)の間であることから乾は「いぬい」とも読まれる。坤(こん)は南西、すなわち十二支の未(ひつじ)と申(さる)の間、ひつじさるを示す。巽(そん)は東南の方角になり、辰(たつ)と巳(み)の間であることから巽は「たつみ」とも読まれる。艮(ごん)は東北の方角となり、丑(うし)と寅(とら)の間であることから艮は「うしとら」とも読まれる。

 

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