通信制高校サポート校湘南国際学院から届ける新着情報

初詣 高時腹切りやぐら~若宮大路幕府跡の小散策

egara  kamakura 010.JPG

  「高時腹切りやぐら」を後にして、「東勝寺跡」「東勝寺橋」を通過し、「日蓮上人辻説法跡~妙隆寺~宝戒寺」の2車線弱の道まで戻ります。道を渡った斜め右に路地に入ると10m程で「若宮大路幕府跡」の石碑があります。

 鎌倉幕府は初め私立清泉小学校のところの大蔵にありました。これは、源頼朝が大倉に屋敷を構えたため、頼家・実朝の源氏三代までは大倉で政務を執った為です。1225年頼朝の妻の政子が死ぬと、将軍藤原頼経(よりつね)・三代執権北条泰時は幕府を宇津宮辻(うつのみやつじ)に移動させました。その11年後の1236年には更にこの場所に移動させました。 それ以後98年間、親王屋敷とも呼ばれ、4代将軍藤原頼経(よりつね)以後六代の将軍が相継いでここで政治を行い9代将軍守邦親王まで存続しました。そして1333年新田義貞(にったよしさだ)が鎌倉に攻め入ったことにより亡びました。一説には、宇津宮辻子幕府を増改築したのが若宮大路幕府で、若宮大路幕府の位置については碑が示すように鶴岡八幡宮側の横大路に面していたという説と、位置は宇都宮辻子幕府と同じで出入口が若宮大路に面していたという説があります。

 egara  kamakura 011.JPG若宮大路幕府旧蹟碑の横には、作家大佛次郎の茶亭があります。茶亭は書斎として使用され、鎌倉文士の交流の場としても使用されました。現在は土・日・祝のみコーヒーなどを頂けます。

 このまま「段葛」にでます。丁度、清川病院隣のコンビニのところに出てきます。時間がなくなったので今日の小散策はここまで、今回は立ち寄りませんが、すぐ近くに2番目の宇津宮辻子幕府跡があります。若宮大路幕府旧蹟碑の住宅地を南、由比ヶ浜方面に行った鶴岡八幡宮の二ノ鳥居 脇の「宇都宮稲荷神社」内にあります。「宇津宮辻子幕府」の辻子とは大路を結ぶ小道の意味で、幕府は若宮大路と小町大路に囲まれた宇都宮辻子の北側200mにあったと考えられています。

 1192年~1333年の鎌倉時代の3つの幕府の真ん中に北条執権邸があったことがわかります。やはり、鎌倉時代は執権政治だったのですね。

 

 

関連記事

アーカイブ

ページ上部へ戻る