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初詣 紅葉山やぐら~高時腹切りやぐらの小散策

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 「紅葉山やぐら」から「宝戒寺橋」まで戻り、「東勝寺橋」に向かいます。

 橋のたもとに青砥 藤綱(あおと ふじつな、生没年不詳。鎌倉時代後期の武士)の石碑があります。

 かつて夜に滑川を通って銭10文を落とし、従者に命じて銭50文で松明を買って探させたことがあったそうです。その時、ある人に「10文を探すのに50文を使うのでは、収支償わないのではないか」と嘲られたところ、藤綱は応えて「10文は少ないがこれを失えば天下の貨幣を永久に失うことになる。50文は自分にとっては損になるが、他人を益するであろう。合わせて60文の利は大であるとは言えまいか」と応えたと伝えられています。

 そもそも、青砥 藤綱は北条時頼が鶴岡八幡宮に参拝した日の夜、夢に神告があり、藤綱を召して左衛門尉を授け、引付衆としたといわれ(『弘長記』では評定衆に任じたともある)、藤綱はその抜擢を怪しんで理由を問い、「夢によって人を用いるというのならば、夢によって人を斬ることもあり得る。功なくして賞を受けるのは国賊と同じである」と任命を辞したそうです。北条時頼はその賢明な返答に感じるところがあったといいます。この後、次代執権の北条時宗にも仕えましたが、『太平記』では藤綱を北条時宗及び次代執権の北条貞時の時の人としています。

egara  kamakura 007.JPG 「東勝寺橋」を過ぎ、少し坂道を登ると「東勝寺跡」があります。といっても草むらで柵があり、入れません。

 東勝寺(とうしょうじ)は、かつて神奈川県鎌倉市葛西ケ谷にあった寺院で、鎌倉幕府の執権として活躍した北条氏の菩提寺のひとつ。

 1333年(元弘3年)、後醍醐天皇に呼応して鎌倉に攻め寄せた新田義貞の軍勢を迎え撃つべく、北条高時ら北条氏一門が当寺に篭もりましたが、成すすべもなく自ら火を放って自刃しました(東勝寺合戦)。『太平記』には、自害した人々は283人の北条一族と家臣の870人と記されています。鎌倉でのこの戦闘の後、この地で死んだ北条一族を弔うため、足利尊氏によってもとの北条執権邸の地である先にあげた「宝戒寺」が建てられました。

 egara  kamakura 006.JPG東勝寺跡をあとにしてそのまま進むと「祇園山ハイキングコース」に入ります。

 鎌倉にはいろいろなハイキングコースがありますが、このコースは短めのコースです。

 「祇園山ハイキングコース」の看板の左手に今回の目的地「高時腹切りやぐら」があります。

 北条高時は、鎌倉時代末期の執権(第14代執権)ですが、この後2代続いて、北条守時(ほうじょう もりとき)が鎌倉幕府第16代・最後の執権となります。何故、「高時腹切りやぐら」が有名なのかは分かりません。

 「勝てば官軍負ければ賊軍」ではないのですが、時代は後になって粉飾されやすいので、北条高時が一体どういう人だったのだろう?と思いをはせます。北条氏滅亡を考えると平将門や今年のNHK大河ドラマの平清盛を思い浮かべてしまいます。

 やぐらの中にはたくさんの卒塔婆がありました。真新しい高倉健さんのもおさめられていました。

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