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大井上 輝前

 今年のはじめ北海道にいった際、硫黄山で温泉タマゴを箱根と同じようなニオイの中で美味しくいただいた。

 明治時代、北海道に集治監というものがありました。樺戸集治監・空知集治監・釧路集治監・網走分監・十勝分監。集治監は普通監獄とは異なった行刑施設で、明治14年9月の監獄則改正により「徒刑流刑及び禁獄の刑に処せられたる者を集治する所」と定義され、維新後起こった佐賀の乱、神風連の乱、萩の乱、西南の役などよって逮捕された国事犯等を北海道の開拓(農耕や道路の開鑿)そして先にあげたアトサヌプリ硫黄山や幌内炭鉱などで働かされていました。

 アトサヌプリ硫黄山では坑道内には硫黄の粉塵が立ちこめ、亜硫酸ガスのため、就役して1ヶ月もしないうちに目は赤くただれ、過半数が目の障害を訴えても治療をうけることなく作業に従事していたそうです。

 この、アトサヌプリ硫黄山の作業を中止した典獄が大井上輝前で当時薩摩閥で構成されていた北海道では珍しく伊予大洲藩出身の彼は集治監にベースボールを取り入れたキリスト教信者でしたが最後は内務省との確執で辞職してしまいます。

 伊予大洲藩はあまりきかない藩ですが、今 「龍馬伝」にでてきている「いろは丸」は伊予大洲藩の船です。

 勝てば「官軍」負ければ「賊軍」。そんな時代だったのですね。

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